更新日:2021年03月22日
首都圏で「ひろしま」にゆかりのあるお店が一緒になって「ひろしま」を応援するプロジェクト「ひろしまアンバサダーズ」。その初代「ひろしまスペシャルアンバサダー」に就任された石原慶幸さん。
昨年12月に広島県内で行われたポスター撮影の際に、引退後の今のお気持ちや伝説プレーのエピソード、これからのことなど、思いをたっぷりお聞きしました。
そうですね、やっぱり選手時代は毎日朝起きたらトレーニングや練習、来年のことを考えるなど、やることも多かったですからね。
いまは本当にリラックスして家族と過ごしています。
練習もトレーニングもしなくていいというか、あまりにも何もしてないので身体的にはこれでいいのかなと心配しながら、でも何もしてないです(笑)。日々をゆっくり楽しんでいます。
球団をはじめ、ファンの皆さんのおかげでとても思い出に残る、中でも一生の思い出となるセレモニーになり、本当に感謝しています。
コロナという異例の状況の中でしたが、最後の応援をいただいてあんなに素晴らしい引退試合をさせてもらったのは、本当にファンの皆さんのおかげです。
オープン戦、開幕試合から無観客試合になり、今までにはないシーズンの始まりで、想定外のことがいろいろとある中、改めてファンの方のありがたさというか、もちろん今までも感謝していましたが、声援や応援のありがたさを実感し、再認識する機会になりました。
やっぱり2016年ですね。25年ぶりに優勝したシーンは今でも鮮明に覚えています。
僕が入団してからずっとBクラスが続いていて、責任も感じていましたしね。結果として続いて3回優勝できましたが、初めての優勝を経験できた年は、また違う意味で特別だったなと思います。
初めてクライマックスが決まって甲子園で試合をしたときには、甲子園の半分が真っ赤になるのを初めて見ましたし、関東の試合では、毎回レフトスタンドがもう真っ赤に染まるんですよ。いやもう、すごいとしか言いようがないというか。
関東圏にも、それだけ多くの広島にゆかりのある方が仕事や生活をされているんだなと感じましたし、応援していただけたという印象があります。
広島に行ったことのないカープファンもいらっしゃったりで、カープファンの方が全国に、本当にたくさんいらっしゃることを感じました。
つらかったのは、勝てないとやっぱりつらいですよね。入団からずっとBクラス、そんな中でもたくさんの方に「頑張れよ」と応援や、温かい言葉をいただいていて。
ファンの方に対しては、勝って、優勝して返していくというのが、野球選手としての仕事というか宿命だと思っていたし、やっぱりそれで結果が出ないと、それほどつらいというか申し訳ないことはなかったです。やっぱり勝たないとそういう気持ちになるんですよ。
そういう意味で、いろいろあったその先での優勝は充実した時間でした。
自分としては本当にボールが消えた!というか、神隠しにあったみたいなものだったのですが、逆に周りから見ればすごくボールが見えているんですよ。「うしろ後ろ!」「下だ下!」など、いろんな声が聞こえて。
でも僕は全く見えていないわけです。
内心はもう、はやくボール取りにきてくれよ、いいから早く来てくれ!!と思っていました(笑)。
次のイニングを守りにいったら、当時の横浜ベイスターズ、中畑監督が大爆笑されて「あれは良かったよかった、面白かったよ」と言われた記憶がまだ残っています。
引退してから振り返りでそのシーンを見る機会が多いのですが、あとから見ると恥ずかしいですよね。すぐ足元にボールがあるのに、なんでこれが見えないのか、よくわかんないんですけど。
これは本人にしかわからないことです(笑)。
選手時代は會澤選手だったり、小窪選手だったり。新井さんと一緒にプレーしていたときは、新井さんとも結構頻繁に、でしたね。
みんなともまんべんなく行ってましたよ。
そういうのはあんまりなかったです。
悔しい負け方をしたときは予定をやめて行かなかったこともありますけど、基本的に普段はずっと長い時間みんなと一緒なので、食事くらいは別でゆっくりと楽しみたいという気持ちもありましたしね。
リラックスというか、気分転換のために行くという感じですね。
野球選手は、からだも声も大きくて目立ってしまいがちなので、僕ら主導というよりは、なるべくまわりの方に迷惑がかからないようにお店を選ぶようにしていました。迷惑をかけずに楽しく過ごせるところですね。
先輩や後輩、相手によって場所を変えたりとかはあんまりなくて、むしろ後輩にお店を選んでもらったりとかもありましたよ。皆で囲んで、顔を合わせて話せるような場所も多かったですね。
そういう意味では、実は選手時代は限られたお店にしか訪れることができなかったので、引退してこれからは行きたいところに行くというか、お店をいろいろ回りたいです。
日頃よくしていただいた飲食店の方にもご挨拶したいですし、いままでお世話になった方のところには、チャンスがあれば全部行きたい気持ちです。
実はあんまりないんですよ、他球団の方とは。ポジション柄というか、キャッチャーでしたから野手の方と一緒に行くというのは避けるようにしていました。情が入るとかはもちろんないんですけど、あえて距離を置くというか、あまり機会は多くなかったですね。
逆にこれからのほうがいいかもしれないですね。
ちっちゃいころは、僕は好きなものは後に食べる派だったんですけど、だんだんとね、とられるというか。ハハハ。
男三人兄弟なので、自然と力関係的にそうなるし、そこからなるべく好きなものは先に食べるようになりました。
それでもまだ食べたかったら、もう一回注文するとかね(笑)。
料理はまったくしないので、食べる専門です!
野球をやり始めてからは、プロ野球選手になるという憧れは持っていましたね。
あとは、僕はバスケットも大好きでしたよ。ちょうどマイケル・ジョーダンの全盛期の頃ですね。
パイロットや学校の先生にも憧れはありましたが、やっぱりからだを動かしているほうが落ち着くので、何かしらスポーツはやっていたと思います。
小学校の時、兄の少年団についてまわっていて、自然と僕も野球を始めることになったのがきっかけです。真ん中の兄がキャッチャーをしていたので、兄ちゃんがキャッチャーをしてたんだから、お前もやれと。
実は初めは自分でやりたくてキャッチャーを始めたわけじゃないです(笑)。憧れの選手は、小学校のころはなかったですね。
岐阜では広島の情報はすごく少なかったし、地域的に中日とジャイアンツの情報くらいしか入ってこなかったですから。
やっぱり大学に入ってからですね。カープといえば金本さん、江藤さん、野村謙二郎さん、緒方さんという全盛期で、プレーを含めてすごいなこの人達は、っていう気持ちでした。
今年からは野球解説者として、初めての経験であり仕事になりますが、新人ルーキーですから!(笑)まずは一生懸命勉強です。
外側から野球を見るのも初めてなので、そこで気づくこともたくさんあると思いますし、そういったものを含めて視聴者の皆さんに伝えていけたらいいなと思っています。
ぼくは不安でしかないけど(笑笑)。
ビジョンは正直まだないというか、これまでは野球しかしてきていないので、もちろん野球に携わっていきたいとは思いますが、こうなっていきたいというのはまだないですね。
たとえばユニフォームをまた着るチャンスがあるとしても、僕だけの思いではもちろんそれはできないし、タイミングというか相手があることですからね。
今はまず新人として野球解説をしっかりと学びながら、また新しいことを見つけていくという感じですね。
やっぱり落ち着きますよね、広島は。
安心します。帰ってこれると。
もちろんそうです!広島が本拠地なんで。
広島は人生で一番長いですからね。
もちろんです!!応援させていただきます!
現役時代にはチームのコミュニケーションを大事にされていた石原さん、明るく真っ直ぐなお人柄を感じさせる語り口で、終始しっかりと目をみて話してくださったのが印象的でした。
ひろしまアンバサダーとして活動していただけるのが本当に楽しみです。
石原さん、どうぞよろしくお願いします!!